オリバー、オリーブ&パロマ

 リニューアルの時に削除してから放置していたエントリを、修正・加筆してもう一度アップします。

 3つのソースのお話。



オリバー、オリーブ、パロマ
非常に似ている3つのラベル




関連年表

1920(大正09)年
大阪の老舗醤油醸造蔵「浪速醸造」(八尾市太田新町)を長男・道満惣次郎が継ぐ(5代目)。これに伴い二男・道満 清は独立し神戸に転居。英国産輸入ウスターソースに着目し、神戸外国人居留地等を中心に輸入液体調味料の研究と委託販売を開始する。
1923(大正12)年
道満清、神戸市兵庫区松本通りにて「道満調味料研究所」設立 自社製ウスターソースの製造を開始。 (これをもって創業とする)
その後、本国イングランド・ウスター市の「Oliver」社、及び日本側代理人遠山氏廃業に伴い、商標権と意匠を引き継ぐ。
1936(昭和11)年
道満調味料研究所、どろソースを業務用として出荷するようになる。
1947(昭和22)年
道満調味料研究所、「道満食品工業株式会社」に社名変更。道満俊彦、社長就任。
1948(昭和23)年
1月、道満食品工業、世界初の超濃厚ウスターソースを開発。「とんかつソース」と名付ける。
1949(昭和24)年
道満清、死去。この時期、「とんかつソース」の名称についてあまりにも多くの侵害が相次ぎ、名称差し止めの依頼業務が煩雑を極めたため、登録商標化を見送った。
1951(昭和26)年
大阪で「オリバーとんかつソース」の名称そのものを使用した商品が発売され係争となる。(オリバーソース勝訴)
1966(昭和41)年
道満食品工業株式会社からオリバーソース株式会社に社名変更
1967(昭和42)年
広島でオリバーソースとラベルを酷似させた商品が発売され係争となる。(オリバーソース勝訴)
2004(平成16)年
浪速醸造廃業。和泉食品と形式的な合併(実際は和泉食品がソース製造を引き継いだだけで資本的な変動はない)。浪速醸造の「オリーブソース」は「パロマソース」として継承される。

 かつて、八尾に浪速醸造という会社があり、オリーブソースというソースを製造していた。
 浪速醸造はすでに廃業し、現在、このソースは和泉食品(松原市)に受け継がれ、パロマソースとして販売されている。

 これらのソースはどのような関係を持っているのか。



 浪速醸造オリバーソース創業者・道満 清氏の本家筋にあたる。

 年表のとおり、醤油醸造蔵であった浪速醸造を長男の惣次郎氏が継いだため、二男の道満清氏が独立し道満調味料研究所を設立した。これが後のオリバーソースとなる。

 醤油を作っていた浪速醸造に対し、道満清氏はソース製造の道を進んだというわけ。

 道満食品工業(前年に社名変更した)は1948(昭和23)年、日本のソース史と大衆食の歴史を変える商品を開発する。
 それが世界で初めての超濃厚なウスターソース、「とんかつソース」。

 そう、とんかつソースというのは、実は「濃厚なウスターソース」なのですよ。

 では「『濃厚』とはなんぞや?」というと、これは粘度を指す。
 現在のJAS規格では、ウスターソース類の定義はこうなっている。

 

ウスターソース類 次に掲げるものであつて、茶色又は茶黒色をした液体調味料をいう。

  1. 野菜若しくは果実の搾汁、煮出汁、ピューレー又はこれらを濃縮したものに砂糖類(砂糖、糖蜜及び糖類をいう。以下同じ。)、食酢、食塩及び香辛料を加えて調製したもの
  2. 1にでん粉、調味料等を加えて調製したもの
ウスターソース ウスターソース類のうち、粘度が0.2Pa・s未満のものをいう。
中濃ソース ウスターソース類のうち、粘度が0.2Pa・s以上2.0Pa・s未満のものをいう。
濃厚ソース ウスターソース類のうち、粘度が2.0Pa・s以上のものをいう。

 
 この「濃厚ソース」が「とんかつソース」にあたる。
 これらの区別の根拠は味の濃さではなく、ドロリ具合ということ。

 その粘度は多くの場合、コーンスターチで出す。ただそれだけ。
 びっくりの人も多いのではなかろうか。

 しかしこの発明がたこ焼き、お好み焼きをはじめ、いわゆる「コナモン文化」の中でどれだけ大きな役割を果たしたかは、想像に難くないだろう。

 この濃厚ソースは大ヒットし、同業他社も次々と類似商品を投入した。
 しかし道満食品工業はどうやらこの「とんかつソース」の名称を商標登録していなかったようで、どの会社も「とんかつソース」として発売。最初は商標侵害として対応していたようだが、その煩雑さに商標登録を断念したとのこと。(^^;

(その教訓からか、オリバーソースは現在は商標を守ることに細心の注意を払っているという。「どろソース」は発売と同時に商標登録の出願をしており(1993年出願、1995年登録)、同様のソースを他のメーカーは「オリソース」「どべソース」などの名称で販売している)

 商標侵害は「とんかつソース」だけではなかった。

 1951(昭和26)年には大阪で「オリバーとんかつソース」の名称そのものを使用した商品が発売され、1967(昭和42)年には広島でラベルを酷似させた商品が発売された。いずれも裁判沙汰となりオリバーソースが勝利している。

 で。

 どうやらこの、1951(昭和26)年の大阪での事例が浪速醸造によるものだったらしい。

 当時、浪速醸造は本業の醤油製造が思わしくなく、人気が出だしたとんかつソースに注目し、ソース製造を開始した。
 その時、「とんかつソース」という名称どころか、そのまんま「オリバー」のブランド名もいただいたようだ。(^^;

 年表にあるように、当時、社長の座はすでに清氏から息子の俊彦氏に譲られており、清氏は「とんかつソース」発売の翌年に49歳の若さで亡くなっている。
 
 浪速醸造にしてみれば、甥の会社ということになる。

「甥よ。お前の父の独立の資金だって本家が出したんだし、こっちが苦しい時にはブランドくらい使わせて恩を返してもよかろう」

 くらいの気持ちになってたりでもしたのだろうか。(いえ、独立の資金云々をはじめ、このセリフは完全に想像です。根拠なし。ご注意を)

 しかし係争事件にまでなったくらいだから、両者はさほどいい関係ではなかったのかもしれない。資本関係も、ちょっと考え難いかな。

 とにかく、この係争があって以降、浪速醸造は「オリバーソース」の名前を使うことをやめた。
 そしてあらたに使い始めた商品名が「オリーブソース」。

 そのマークが、上掲の写真真ん中のもの。
 ラベルには何か、果実の実が描かれている。
 
 現在、オリーブソースの後継ソース「パロマソース」を販売している和泉食品はこの実について、原材料として使用しているプルーンの実としているが、オリーブソースの成分表示にはプルーンはない。もちろんオリーブもない。(つまり、オリーブソース⇒パロマソースを通じて原材料にオリーブは使われたことがなく、プルーンはパロマソースとなってから使われだしたということ)

●オリーブソース
野菜・果実(トマト、たまねぎ、りんご、その他)、醸造酢、糖類(砂糖、ぶどう糖果糖液糖)、食塩、香辛料、増粘多糖類、コーンスターチ、調味料(アミノ酸等)、カラメル色素、酸味料、保存料(パラオキシ安息香酸)

●パロマお好みソース
野菜・果実(りんご、トマト、玉葱、梅肉、プルーン、その他)、糖類(砂糖、ぶどう糖果糖液糖)、醸造酢、食塩、たん白加水分解物、でんぷん、アミノ酸液、増粘多糖類、香辛料、カラメルIV、酒精、調味料(アミノ酸等)、酸味料、甘味料(甘草)、乳化剤(原材料の一部に小麦、大豆を含む)

※和泉食品はオリーブソースを受け継いでからも自社で研鑽を積み改良を重ねている。原材料を見ても、もはやこれをオリーブソースの後継と言っていいのか、よくわからなくなる。

 とすれば少なくともオリーブソースのラベルにプルーンを描く必然性はまったくないわけで、オリーブソースはやはり「Oliver Sauce」が使えなくなって苦肉の策として一字違いの「Olive Sauce」としたと考えるのが一番据わりがいいようだ。そしてラベルの絵もやっぱりオリーブの実と考えるのが妥当だろう。(封蝋?とリボンをバックにしてオリバーを連想させつつも、「Oliverちゃいまっせ、ほらこの木の実、Oliveですねん」と主張するためのイラストだろうから)



オリーブの実


プルーン(セイヨウスモモ)の実



 似てるねえ。(葉の形を見ると、やっぱりオリーブの方が似てるかな)

 こうまでしてオリーブソースを作り続けた浪速醸造だが、結局、2004(平成16)年に廃業してしまう。

 これを継承したのが、和泉食品(松原市)だった。
 「合併」と表現しているが、実質的には資本移動はなく、和泉食品がオリーブソース(とその顧客)を継承しただけのようだ。
※こういうことはこの業界ではよくある。業務用の顧客が多いため、あるソース会社がなくなるとそこからソースを仕入れている多くの飲食店が困る。そこでブランドと顧客(味や製造法なども)を別のソース会社が引き受ける。たくさんのブランドを抱えている会社はそれが複数回あったことを示唆する。

 しかし、和泉食品は「オリーブソース」のブランドは引き継がなかった。

 浪速醸造がその末期にオリーブソースの商標登録の継続を怠っており、登録が切れている可能性があったのだという。しかも取り直そうにも、「オリーブソース」はオリーブオイルを使ったソースなどに使われる一般的な名称となっており、新たな商標取得も難しそうだった。
 そこで和泉食品は「オリーブソース」の商標を使うことを諦め、以前から商標を持っていた「パロマソース」を使うことにした。

 「パロマ」の名は、カリフォルニアのパロマー天文台から取ったのだという。パロマー天文台には反射式天体望遠鏡が設置されている。これは1948~1993年の45年間にわたって世界最大であった。
 この天文台の望遠鏡が「当時」世界最大だったところから命名したということなので、「パロマソース」という商標自体の登録は1993(平成5)年までに完了していたということになる。
 ロマンチックな会社なのだ。

 オリーブソース(パロマソース)を継承してから和泉食品は改良を重ね、原材料も野菜・果実のうち、りんご、トマト、玉葱、梅肉はすべて国産を使用するようになった。ただ1つ、プルーンだけは輸入しており、それがパロマー天文台のあるカリフォルニア産となっている。

 このこともあって、現在、和泉食品ではパロマソースのラベルにある果実はプルーンとしているのだろう。



 なお、浪速醸造についてはネット上に全然情報がない。ググってみても、量はたくさんあるものの、そのほとんどがパロマソースの販売ページで、引っかかるのは2~3種類のフレーズをコピペしたものばかり。絶対的な情報量は非常に限られている。

雑誌”Meets Regional(ミーツ・リージョナル)”2005年5月号の「上方ソース図鑑」で紹介されていた「オリーブソース」の復刻版がこちら
パロマソースは、関西では有名なオリバーソースさんの本家の浪速醸造さんが作っていたオリーブソースの復刻版
代々伝えられてきたソースレシピの味わいを見事に復活させた地ソースです。
パロマお好みソースはやや甘さ控えめで、香りの効いた濃厚な味に仕上げています
フルーティーで濃厚な味はお好み焼きに適した味に仕上げています

 

関西ローカル系なタウン誌”MeetsRegional(ミーツ・リージョナル)”2005年5月号の「上方ソース図鑑」の豆知識のコーナー(43P)で紹介されていた「オリーブソース」の復刻版がこちら!
オリーブソースといえば、八尾の(←旭ポンズも八尾でんな‥)浪速醸造さんの銘柄‥その分家が神戸のオリバーソースさんね‥オリバー=”Oliver”、オリーブ=”Olive”なんだな‥奥深いわね‥。
で、残念ながら‥浪速醸造さんは廃業されちゃったんだけど‥その意思を継いで復刻してくれたのが‥タカワソースでお馴染みの和泉食品さんなわけっ!!オリーブソースの秘伝のレシピを忠実に伝承したのが‥こちらの”パロマソース”なんです!
残念ながら、商標の関係上、名前まで継ぐことはできませんでしたが‥ラベルを見てみて!
そう‥あのオリーブソースのシンボルマークである‥オリーブの絵はしっかりと記載されてるんだな!
名前は違うが、中味はオリーブソースそのまんま!
原材料にプルーンも入ったかなり‥超マニアックな一本です!!(オリーブが原料ではありません‥念のため)

 

●このソースは大阪八尾市の元「浪速醸造」さんの オリーブソース のレシピを継承されたものです
●かつ、今風に改良した 甘口濃厚ソース です
●保存料、合成甘味料は一切使用していません。
●「塩分はやや多めで、お好み焼きによく合う」と社長の南三津雄さん。

 
 このあたりが、ネット上にある浪速醸造に関する情報のすべてと言っていいかもしれない。

 しかし、「名前は違うが、中味はオリーブソースそのまんま!」とか「オリーブソースの秘伝のレシピを忠実に伝承」というのはちょっとテキトーすぎる。
 今書いたとおり、パロマソースはオリーブソースから改良を重ねているのだからして。
 
 あと、係争になったくらいの複雑な関係なので、「関西では有名なオリバーソースさんの本家の浪速醸造さん」とだけさらりと書いてしまうのも、与えるイメージはずいぶん変わっちゃうなあと思ったり。
 
 ……とまあ、似たラベルの奥にある物語を掘り起こしてみた。
 
 
追記)とんかつソースのアイデアは2代目社長・道満俊彦氏の妻・不二子氏による。俊彦氏と不二子氏は1947(昭和22)年に結婚している。結婚の経緯は、1947(昭和22)年、第1回ミス東京に選ばれた女性の記事を見て、清氏が「息子の嫁に」と人を立てて俊彦氏を連れて上京し頼んだが断られ、しかしその妹(不二子氏)が嫁ぐことになったというもの。
 不二子氏のアイデアとは、学生時代に通っていた屋台のソースだった。この店ではコロッケを食べる時にソースがたれないように、ソースにメリケン粉でとろみをつけて使っていた、これを商品化できないかと。
 清氏はその義理の娘のアイデアを実現するため研究に没頭したという。とんかつソースは1948(昭和23)年1月に誕生しているから、1947(昭和22)年に清がミス東京の記事を見てからソース発売まで1年もないということになる。三代目の現社長・雅彦氏も「濃厚ソースの開発は、さほど時間を有しませんでした」と語っている。
 
追記2)なお、疑問なのは清氏から俊彦氏への社長交代時期が早いこと。2年後に亡くなるとはいえ社長交代当時で清氏は47歳。働き盛りであり、その後とんかつソースの開発に没頭するところを見ても精力は衰えていなかったように思える。なのにこの若さで代替わりというのはどういうことなんだろう。既に病を得ていたのか、あるいは考えられるのはやはり息子の結婚か。東京に息子の嫁を探しに行った人物であるし、「結婚したのなら一人前だ。会社も譲ろう」となったのだろうか。
 
 
注)事実誤認などを訂正し大幅に加筆。またJAS規格が改正されたので、新しい条文に変更した。なお文頭の「リニューアル」とは、旧ブログへのリニューアルなので、このエントリのタイムスタンプよりもずいぶん前のこと。
 
最終更新:2017/03/02